[ 2003.03.01 ]
私は暇があればよく散歩する。それも田舎の畦道ではなく街の中を。ギャラリーを覗いたりもするが、それよりデパートや商店街のショーウィンドウを見るのが面白い。そこには様々なディスプレーが施され、客を引き付ける為の企画者の意図が伺えるのだ。

シンプルでセンスの良さをアピールしたもの、種類が豊富だと言わんばかりに展示場所を埋め尽くしたもの、直線を基調にしたやや冷たい感じから、ボリューム感のある温もりなど。つい見落としがちな渋い構成や、早く見てくれと言わんばかりに、動きを加えて飛び出してくるものなど多様で飽きない。

また街を歩く人々のファッションを眺めるのも面白い。街角のコーヒーショップで窓際に席をとり、行き交う人の服装や様々な所作は見ていて飽きない。

奇抜な格好でファッション雑誌から飛び出してきた様な若者から、品の良いセンスで着こなしているご婦人、何とも野暮ったい人など。しかもショーウィンドウと違って目の前を歩く、動く彫刻的観点から見ると面白い。

こうした様々な現象をただ漠然と見過ごすのは実に勿体ないのである。何故ならこれらの大半が創作の手掛かりになるからである。街の中で見掛けるちょっとしたデザインが私の場合創作のヒントになることが多い。その為私は昔から何時もノートを持ち歩いている。その時浮かんだイメージを書き留める為で、それが形であったり、言葉であったりする。

人は感動や感銘を受ける事が出来るが、また時間の経過と共に忘れ易い動物でもある。勿論一人の人間の創造力なんて知れたものだ。次々と新しいイメージが湧くのも、何らかの対象物に触発されて生まれるものであって何もない所からは生じない。様々な要素を如何に咀嚼吸収出来るかにあるのだ。

以前何かの本で読んだ記憶があるが「偉大なる〈巨匠〉と言われる人々も、結局他人の作品や様々な現象に触発され、それをヒントに如何に自分の作品に転化出来るかが鍵であって、一人の人間の創造力なんてたかが知れている」と。

これらの事を考えても普段からメモを取りこれらを具現化していけば、展覧会の前にばたばたする事もない。原稿は多いほど良いわけで、例え立体のものであってもこれを平面に置き換える工夫が面白いのである。

街の何処にでも転がっている様々なヒントを大いに活用したいものだ。我々の身近に創造の宝庫はあるのだから。
(月刊「書の美」2003年3月号『徒然なるままに』より)