[ 2003.05.01 ]
現代は情報化社会と言われている。世の中に様々な情報が氾濫し、自分自身の頭の中でその情報を整理判断する能力が問われているのである。テレビ、ラジオ、携帯電話からインターネット等様々な世界の情報が瞬時に得られ随分便利になったものだ。現に我々が毎月発行しているこの「書の美」も編集スタッフで原稿を作り上げ、それをパソコンを使ってネット上にあげ、これを元に印刷所でまとめ上げていく。我々にとっては便利なしくみであり大いにその恩恵に与っている。しかしその反面失ったものも少なくない。

私の子供時代は新聞、ラジオが唯一の情報源だった。受信状態の悪いラジオの前で耳をそばだてて想像を膨らませながら聞き入ったものだ。映像としては、たまに映画館で見る月遅れのニュースぐらいであった。

またお互いの意志疎通の手段として手紙を書くことがごく普通に為されていた。一通の手紙を書く為に辞書を片手に、何度も何度も書いては読み返し自分の思いを伝えようと努力したものだ。

こうした〈書く〉と云う行為の中には文章の語彙カ、漢字の記憶力、きれいに書くと云う文字の構成カ、行間に籠める想像力などがあり、そこには多くの〈考える時間〉と云うものを有していた。しかし現在はスピードを要求される時代、いかに早く正確に物事を伝えるかに終始し、その為に瞬時の判断を要求されるようになった。

テレビや映画などの映像の世界では、これを送り出す側と我々一般視聴者の受け手側が視覚を通して容易に理解できるのに対し、ラジオや手紙など映像の無いものは、その音声や文章によって想像力を働かせ、行間を読みとる想像力を要求されるのである。この思考する時間、心のゆとりが大切なのである。

こうした音声や行間に籠められた様々な思いを感じ取る時間までも節約してはならない。なぜなら想像は創造を生み出す原動力になるからである。
(月刊「書の美」2003年5月号『徒然なるままに』より)