[ 2002.10.01 ]
七月二十三日夜十時三十分、私は一人スペインのマドリッド空港に降りたった。

十五年ぶりに踏むスペインの大地だ。出迎えに来てくれているはずのペドロ氏の姿を探す、と言っても私は彼を知らない。彼に私の写真を送っているのだが。暫く待つがそれらしい姿が見えないので少々不安を抱きながら手荷物引き取り場に行く。途中で大柄なスペイン人が息せき切って駆けてきた「マツダサンデスカ?」と。

今回いろいろ私のサポートをしてくださる事になったペドロ・ガリョさんである。駐車場を探すのに時間が掛かったらしい。彼の流暢な日本語に安心し、車に同乗させて頂きマドリッドの中心部にあるホテルに無事到着した。ふと時計を見ると日本時間の朝六時、福岡を出発して成田、アムステルダムを経由し丁度二十四時間。明朝十時にナバラヘ向け出発する約束をしてペドロ氏と別れベッドに入った。

昨年の春頃だったと思うが、画家の友人から「来年夏スペインで開かれるジャパンフェスティバルに一緒に参加しないか」と声を掛けられた。このイベントには日本から芸能、文化芸術関係者五・六十人が参加するらしい。今後内容を詰め人選に入るとの事で、この段階では絵画 や彫刻家など美術関係者は十五人程の名前が挙がっていた。スペインには個人的に大きな魅力を感じたが、その時点では何となく曖昧な返事をしていた。美術関 係の人選で書は難しいだろうと感じていたからだ。その後資料提出の連絡があり私の作品集その他を急遽送付。その結果個展とオープニング・セレモニーとして、是非パフォーマンスをお願いしたいとの連絡があった。出来るだけ日本的な文化を紹介したいと言う事や会場効果、予算の都合など総合的な判断の結果、美術関係者では最終的に私一人の招待に絞られたとの事だった。

今回のフェスティバルはスペイン北部ナバラ州と言うフランス国境に近い、牛追い祭り で有名な町パンプローナ市で開催される。翌朝ペドロさんの運転でマドリッドから高速道路で約五時間、途中大草原の向こうに風車の列が見える。セルバンテスの小説ドン・キホーテが挑んだという巨人を想い浮かべているうちに、やがて車は古い石畳の町パンプローナ市に着いた。ホテルではペドロさんの奥さん、マサコ・川端さんが玄関で出迎えてくれた。今回私と日本舞踊の方々十名程のお世話をご主人と二人でしてくださるのである。

ホテルで一休みして会場の下見に出かけた。そこは古い城壁、要塞の跡を利用した石造りの古びた建物で一見酒蔵を思わせる素敵なアーチ型をしており、歴史の重みが感じられる素晴らしい場所であった。会場内へ入ると前もって送っておいた私の作品十六点が床に並べてあり、展示の指示を待っていた。これら作品やパフォーマンス用の大筆類が 輸送中に壊れていないかが一番の心配だったが無事を確認。

会場責任者の方と挨拶するなり「作品はこれだけですか?」と問われた。見ればこの広いスペースの中では作品は半分位に収まってしまい、大幅に作品の数が足りない。作品輸送の問題で、やや小振りの軽い作品にしたのだが、何しろ現場の様子が今一つよくわからなかったからだ。最も大きな壁面二カ所がポッカリ空いているのだ。「この壁面ボードに直接書いても構わないか?」と尋ねてみた。彼は私の問に驚いた顔をしたが「それは素晴らしい、是非お願いしたい」と云うことになり、早速ペンキ類の購入に出かけた。

「明朝から始まる展覧会に作品制作が間に合うのか?」と言う関係者の心配に「会場がオープンして書き上げるから心配ないよ、皆さんは私の制作風景を見てて構わないから」と。

明日の準備を済ませホテルに戻ったのが既に夜の十二時を過ぎていた。スペインに着いて旅の疲れを癒す間も無く、予定外の壁面制作と云う事態でハードスケジュールになりそうだ。深夜遅くまで原稿創りに没頭した。
(月刊「書の美」2002年10月号より)