[ 2004.02.01 ]
先日知人からりんごが送られてきた。綺麗な化粧箱に入って。今はごく当たり前に果物に限らず、食料品から日常品まで全てが綺麗な紙箱に梱包されて消費者に届けられる。

このりんごで思い出したが、昔は重たい物の梱包は殆ど木箱で作られていた。りんご箱もその一つ。そして私の書のスタートはこのりんご箱からだった。

昭和34年、高校を卒業した私は大阪の会社に就職、会社と云っても小さな個人商店、我々従業員の住まいは店の奥にある倉庫の2階で畳2帖に4人という過酷な共同生活、つまり大阪商人の丁稚奉公だった。

共同で使う狭い部屋なので何一つ物は置けないし仕事は年中無休、朝早くから夜遅くまで馬車馬のような労働、唯一の休みは正月の3日間だけだった。そんな中で先輩たちが夜外出したすきに隣の部屋に置いてあったりんご箱を部屋に持ち込み一人書の練習をしていた。当時仕事のつらさを解消してくれたのが墨象だった。自分自身何を書いているのかよく分からないままのストレス解消法だった。りんご箱は机と違い上部に凸凹がありなかなか思うように筆が運べない。どうにか書き上げた書を通信で平川先生に送って見て頂いていたが、自分の意志の弱さで大阪へ出て半年で書の道から脱落していった。仕事は何とか3年辛抱したがこ れも逃げるように大阪を後にした。私の人生のスタートは挫折の連続で、りんご箱は唯一私の心を和ませてくれた。
(月刊「書の美」2004年2月号『徒然なるままに』より)